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鳥羽市立 海の博物館, 三重大学海女研究センター, 海女振興協議会, 鳥羽商工会議所

 

​海女の歴史

 海女はいつ頃からいるのでしょうか。

 日本列島には、5千年くらい前、縄文時代の中頃すでに、海女のいた痕跡が見られます。

 3千年以前と推定される鳥羽市浦村の白浜遺跡からは、大量のアワビ殻とともに鹿角製のアワビオコシが発掘されていますから、きっと海女がいたことでしょう。

明治前半期のアワビ漁の図(三重県水産図説 明治14年)

明治前半期のアワビ漁の図(三重県水産図説 明治14年)

また、天平17(745)年の年号が記された木簡が平城宮跡から出土し、志摩国名錐(波切(なきり))からアワビが送られた記録があり、海女の存在が推測されます。

 万葉集にも女性のあまを歌った作がありますが、文献にあらわれる最も古い志摩国の記録は、延喜式(927年)にあって『志摩の国の海産物をお供えする“潜女(かづきめ)”は30人である。その潜女には衣服の代金として伊勢の国の税から稲束を与える』と記されているのが 最初です。

 また、この地方では伊勢神宮と海女との関係も古くからあり、 伊勢へ天照大神をお祀りした倭姫命(やまとひめのみこと)が、神さまの食べものを探して鳥羽市の国崎(くざき)へ来たところオベンという海女に出会い、以後、国崎から神宮ヘアワビを奉納することになったという言い伝えがあり、その伝統は今も受け継がれています。

​出典:目で見る 鳥羽・志摩の海女 海の博物館編 2013年

明治前半期のアワビ漁の図(三重県水産図説 明治14年)